ちびねこ☆ひとりごと

独り言とは、頭の中にあることを口に出して耳に入れることで脳に定着させる行為である。ちびねこは、脳が小さいので更に文字におこして記録することで記憶を補おうと、企んでいるのです。ちびねこの独り言。別名、ちびねこの忘備録。

信じるということ

私は「信じる」というのは自己完結だと思っている。

要は、「信じる」イコール「私はあなたをこういう人間だと思っている」ということに過ぎない。だから、思っていることと違ったことをしたら、あぁ私の認識が違っていたんだな、と思うだけだ。信じていたのに裏切られたと言う人がいるけれど、それは勝手に信じたあなたが間違っていただけでしょう?ということになる。

 

たとえば浮気されたとして。「信じてたのに裏切られた」という人が良くいるけれど、それはおかしいと思う。「私はあなたが浮気すると思っていなかったけど、それは間違いで、浮気することもあるんだね。でも、浮気されるのは私が嫌で我慢できないから、さよなら。あなたは悪くない、私の問題。」って感じかな。

 

うちの子ども達もヤンチャなもので、私の想像を超えることもあるし、やらかすこともある。学校に呼び出されたこともある。

その時に子どもと話したのは、「お母さんはあなたが○○するとは思ってなかったけど、そういうこともするんだね。」「すいません、想像と違っていて。」「○○するのはあなたの自己判断でしょうけれど、呼び出されるのは私に迷惑なので、やめて欲しい。」「それは、ごめんなさい。気をつけます。」って感じ。子どもは○○したとしてもしなかってとしても、それで愛されなくなるとは思っていない。

 

ただ、期待してそれに応えるみたいな、ことはあるだろうな。

「きっとあなたは出来ると思う。頑張れると思う。やり遂げられると思う。」「そう思ってくれてありがとう。それに応えられるように頑張るぞ!」っていうね。

 

 

 

「信じる」ということは、

「私が予測している未来」であるに過ぎない。

 

たとえば、誰かを信じてたのに裏切られた!って

よく言う人がいるけれど、それは裏切った人が悪いのではない。

この人は裏切らないと、私が予測していたのが外れただけなのだ。

 

競馬とかボートとかの予想と同じなの。

きっと、来る、きっと来る、と信じて予想したけど

外れることあるでしょう?

だけど、裏切られた~~~とは思わないでしょう。

予測が外れたから仕方ないと思うでしょう?

 

私は、息子を信じている。

私は、ダーリンを信じている。

私は、私を信じている。

私は、道行く車が歩道に突っ込んで来ないと

信じて、自転車を漕いでいる。

この人は、こういう人だと信じている。

そうやって生きている。

 

それは、例えば、

息子は人を傷つけたりする人間ではないとか、

きっと自分の道を見つけて自立して

幸せな人生を送ってくれると、

「私は」祈ってる、想像している。

ダーリンが浮気をしないとか、

おじいちゃんおばあちゃんになるまで

ずっとラブラブでいられると、

「私が」願ってる、祈ってる、妄想している(笑)。

私はきっと頑張れると、「私が」思っている。

道行く車は、ちゃんと私の横を素通りしてくれると

私は思って歩いている。

この人は、きっとこういう人だろうと

私が推測している。

 

って、こと。

 

それが、予測が外れたといって、

何かを誰かを自分を、責めるのはおかしいでしょう?

競馬の予想のように、外れることもあるでしょう?

 

誰かと何かを約束した時、

それを最大限、叶える努力はするべきだと

思ってはいるけれど、

それを果たせないこともあるでしょう?

 

 

 

裏切ることが良いことではないし、

約束を破ることが良いこととは

決して思ってはいないけど。

 

それくらいの気持ちでいた方が、

気持ちが楽に生きられるよ。

って。

だれも恨まないで、少しは心穏やかに

いられると思うんです。

 

そういう話です(*^^*)

 

 

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